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2009年2月 7日 (土)

親鸞聖人の終焉の地

 昨日の御荼毘所の所で触れたとおり、親鸞聖人の終焉の地に関する石碑が少なくとも二つ残っている。

Cimg3988c_tna Cimg3986b_tna 一つは松原通西洞院東入の高圓寺にある「親鸞上人御入滅之地」の碑。こちらはご近所なので、時々前を通るし以前から気が付いていた。でもよく見ると、両脇の文字の意味が「五條西洞院月輪本荘」「花園殿?跡」と一文字読めない。「奮」の字に似ているようでもあるんだけど...。

Cimg3995c_tna Cimg3993b_tna  もう一つは京福山ノ内駅のそばの元交番脇の「親鸞上人御往生之?地」という石碑。昨日の画像は3年半ほど前の姿。今は背後の交番が取り壊されて、更地になっている。画像を比べると、石碑と祠がそのままきれいに取り残されているのが分かる。更地を囲うロープに下げられた札には「山王神社所有地」と書いてあって、交番とはいえ警察の土地ではなかったようだ。で、その石碑の文字。下から二文字目が読めない。草冠に人偏に...。下は日ではなく真ん中がステンシルみたいに途切れているし。不明度こちらの方が高そう。

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コメント

はじめまして、親鸞聖人の旧跡を調べていてお邪魔しました。
親鸞聖人終焉の地は、実はもう一つあります。中京区柳馬通御池上ルの京都御池中学校前です。ここは「見真大師遷化之舊跡」とあります。見真大師とは親鸞聖人の大師号です。
山の内の碑と光圓寺の碑で分からないとされている字は同じ字です。「舊」つまり「旧」の古い書き方です。光圓寺の方は「草冠」+「隹」+「臼」の「臼」が「旧」になってますが、異体字でこの字もあります。山の内の方は「隹」の左側が独立して長い人偏のように書かれていますが、漢字は書体によっていろんな書き方があるようです。ややこしいですよね�

投稿: kyohshin | 2009年5月21日 (木) 02時31分

 kyohshinさん、はじめまして&いらっしゃいませ。亀レスで失礼します。
 もう一箇所ありますか。これは行ってみないと。φ(.. )
 ん~、同じ字、でしたか。「旧」がもともとこんな字だったというのも驚きですが、異字体というのも落とし穴。ご教示ありがとうございました。これですっきりしました。

投稿: ichi | 2009年5月29日 (金) 10時56分

山ノ内の石碑が御池通りの「角坊」(すみのぼう)に移動させられています。

詳しくは私のブログを参照してください。

http://ameblo.jp/gisigisi2/entry-10803847045.html

投稿: gisi2 | 2011年2月19日 (土) 01時37分

 gisi2さん。
 新情報ありがとうございます。この手の石碑が引っ越しちゃうってこともあるんですねぇ。びっくりです。

投稿: ichi | 2011年2月19日 (土) 22時20分

聖人のご生涯を調べています者です。
交番跡地が山王神社の所有地であることを教えてくださりありがとうございました。
山王神社は比叡山の日吉大社の末社であり、同じ比叡山延暦寺の西京の房、普賢寺さまがあった場所とのこと、その普賢寺様の寺内寺又は頭塔が聖人ご逝去の善法院様であったのではないかと思っています。
ご活動ご苦労様です。

投稿: 平岡秀明 | 2011年6月 3日 (金) 13時40分

 平岡さん、いらっしゃいませ&超亀レス失礼いたします。
 まわりまわって、縁のある神社の所有地だったのですね。それにしても、その土地に交番が建っていた理由は何なんでしょうね。

投稿: ichi | 2011年6月25日 (土) 16時42分

レスを頂き恐縮です。
交番は単に神社が大通りに面した土地を貸与提供されただけではないかと思います。

交番ができるまでは碑は三条通りに面した南向きだったと思われます。それが交番ができ、西向きになりかけたので、基礎石の上に少しナナメに札石を立てたれ、せめて南西にされたと思われます。その後が残っていますよ基礎石に!また“指差し”が二ヶ所線彫りしてあり、それから推測しても山王神社境内、それもほぼ現存の神社境内が聖人終焉の地と推測できます。
その山王神社ですが樹齢700年越えの楠、山王楠が3本あります。750回を迎えたられたことに鑑み、また、親鸞様が立たれたという岩もありますことからほぼ間違いなく親鸞聖人終焉の地と思われます。

現在その碑がある西本願寺様角坊別院様は150年前に調査された地ではありますが、比叡山の飛地の神社とあってはズバリ終焉の地を取得出来なかったのではないでしょうか。
余計なこと書きました。ありがとうございました。

投稿: 平岡 | 2011年7月 1日 (金) 17時21分

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