« きょうのきょう(梅雨来たりなば夏遠からじ) | トップページ | きょうのきょう(早速夏到来?) »

2007年6月15日 (金)

きょうのきょう(懐古の昔)

 朝からどんより曇り。気温も低くて蒸し涼しい。梅雨入り三日は晴れると言うが、晴れないまでもお天気持ち直し。

F1052491a_tna  あるチャットで「糸こんにゃくとしらたきの違いはないか」と言うのが話題になった。
 Webで調べると、元々は関東と関西で別々の製法で作られていて、西が糸こんにゃく、東がしらたき、だったらしい。今では関西でも関東風の製造方法が主流になったが、呼称だけはそのまま棲み分けている、ということのようだ。製造方法の違いに由来して、太さや断面形状で分類することもあったが、今では明確には区別していないとか。
 確かに限られた範囲はあるが店頭調査したら、大半の商品が西では糸こんにゃく東ではしらたきと称して売られている。文化交流が盛んな地域のことなので、精査すればどんどん例外はでてくるのだろうけど。
 子供の頃実家で食べたすき焼きに入っていたのは当然糸こんにゃく。色が白かったか、黒っぽかったかはあまり記憶にない。先日まで、白いこんにゃくは漂白されていて体に悪いと思っていたくらいだから、普通のこんにゃく色、黒っぽい糸こんにゃくだったのだろう。
 件の話は、関西の呼称は色に依存しないので黒っぽいのも白いのもみな糸こんにゃくでokだが、関東のしたらきは黒っぽいのに対して呼ぶのは抵抗がありそうだ...というあたりを進行中。

F1052492a_tna  似たような東西の違いに餅が丸いか四角いかというのもあるねとも話題になった。
 私が小学生の頃は近所の餅屋で丸餅を一個二個と買い求めていたっけ。そのうち、真空パック(?)の「サトウの切り餅」が出現し、日持ちの良さで一世を風靡して文化破壊が起きた。...少なくとも我が家では。
 関東在住時代はサトウの切り餅(ないしは類似品)一辺倒。茨城県のスーパーで座布団のようなふかふかで巨大な切る前の切り餅(伸し餅?)を見て腰を抜かしそうなほどおったまげたのも懐かしい思い出だ。「切り餅」と言うからには切る前があって、切る前には相当大きかったはず、と言うところまで考えも知識も回っていなかったようだ。f^_^; サザエさん一家が、切らずに放置して堅くなった伸し餅を切りあぐねるという漫画の意味が何十年かぶりに理解できた瞬間でもあった。
 あれから二十数年して戻ってきてみると、餅屋も丸餅も健在だった。「サトウの丸餅」なんて商品もでているようだし。やっぱ餅は丸くないとね。

 子供の頃買い物した餅屋の並びには、玉子屋があって、陳列台に籾殻を敷き詰め、玉子を直に並べて売っていた。店の奥では回転寿司を規模縮小したような機械が玉子を載せて回転していて、大きさの分類を自動で行っていた。店に行くとぼんやり眺めているのが好きだったっけ。こういう店は最近はとんと見かけなくなった、錦市場の玉子屋も10個パックを積み重ねて売っている。と思ったらばら売りon籾殻な店が宇治の商店街に一軒ありました。

F1052498a_tna  更にその並び、実家のビルの前には氷屋というか製氷工場があった。
 中も外も黒い建物。トラックヤードの奥に舞台のような高い床があって、その床から身の丈ほどある回転ノコギリが生えている。建物の奥からやはり身の丈ほどもある氷を運び出した職人さんが、回転ノコギリに氷をあてがって所望の大きさに切り刻んでいく。ノコギリに安全装置か何かはあったのだろうけど、幼い記憶からはすっぽり抜け落ちてしまっている。
 切り刻まれた氷は、舞台の手前に横付けされたトラックに積み込まれどこへともなく運ばれていく。

 幼い頃に見た風景を思い出してしまった。これらの店は大阪万博の直前に市道札場筋線が国道171号線、通称万博道路に昇格して拡幅されるのに伴って消滅した。おぼろげな記憶が残るのみ。当時は写真なんて気軽に写せるものではなかった。今のように、デジカメでほいほい記録できていたらなぁ。

 今日常に見慣れた風景も、何十年かすれば懐かしい思い出になるのだろう。そう思ってなるべく日常の風景を残そうと思っているのだが、当たり前の風景であればあるほど、カメラに手が伸びないものなんだな。

 画像は京都駅三景。

|

« きょうのきょう(梅雨来たりなば夏遠からじ) | トップページ | きょうのきょう(早速夏到来?) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« きょうのきょう(梅雨来たりなば夏遠からじ) | トップページ | きょうのきょう(早速夏到来?) »