« きょうのきょう | トップページ | きょうのきょう »

2006年7月24日 (月)

法は最低限の道徳である

 高校野球秋田大会でのプレーが話題を呼んでいるようで...。
 悪天候の中行われた試合で、リードしているチームの監督が、降雨コールドになるのは確実と見て、ノーゲームか試合成立かの境目の7回の攻撃を早く終わらせるためにわざとボール球を三振したり三塁走者に憤死させたというプレーです。自らに不利なプレーをする行為として敬遠と比較して考える向きもあるようですが、事の本質はもっと別のところにあります。
 この監督が行ったのは、単なる三振策や自殺というプレーをしたのではなく、試合時間を故意に操作したのです。試合時間の故意の操作は試合上のまっとうなプレーとはいえません。試合時間を故意に引き延ばす行為は投手ならボークになるし、野手でも禁じ手のはず。ルール上は試合をわざと早める事が想定されていないので明確な違反にならないだけのことです。そこに、マスコミや観客の批判が集中しただけでなく、秋田県高野連が乗り出してきた理由があるのでしょう。とはいえ、明確にルールを破ったわけではないので、始末書、というのもどうかとは思いますが。
 本質はちょっと違うけど、今回のプレーと対照的に過去には連続敬遠策も論議を呼んだ事があります。
 ま、勝てば官軍なので、プロ野球なら奇策として称賛を浴びる事になるのかもしれません。これらのプレーに好意的なWebを見ると、「高校野球にむやみに高潔さを求めるな」という論旨が多いようです。私も高校野球好きとして、高校野球をやたら神聖化し祭り上げるマスコミの取り上げ方には違和感を覚えます。しかし、事が高校野球で起こったということを考えるともう一つ考慮に入れるべき側面があります。それは、高校野球は学校のクラブ活動であって、教育の一環であるということ。野球という運動の技術を磨くだけが目的ではないということです。プロ野球選手の養成所ではない。試合や練習を通して、対人関係、社会生活の基礎を学ぶことが本来の目的です。そういう観点から見た場合、今回の本荘の監督の行為は生徒に対して、「勝つためなら(ルールに明確に抵触しない限り)何をしてもよいのだ」と教えたわけです。確かに、弱肉強食たる社会で生き抜くためには必要な教えではあります。しかし、もう一つの選択肢として、奇策を思いついても採用しないで「明文化されてルールになっていなくても、世の中にはやってはいけない事がある」ということを教えることもできたはずです。「法は最低限の道徳である」という意味で、道徳というものを教える機会でもあったのです。理由はともあれこの先生は社会の厳しさと生存競争に勝ち残る事の大切さを教えることを選んだのでしょう。どっちが正しい、どっちが間違っているという問題でもないと思います。要は自分の子供にどんな教育をしてほしいか、で容認派と批判派に分かれるのでしょう。
 私には前者の教育の結果がホリエモンに結びついたように思われます。ホリエモンについても英雄視する人と時代のあだ花と見る人と両方いるわけですが。私には子供はいないのでどう育てるかは直接関係ないですが、どう見ても勝ち組にはないそうにない凡人たる私としては、道徳が生き残った社会で余生を送りたいなと思います。

|

« きょうのきょう | トップページ | きょうのきょう »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« きょうのきょう | トップページ | きょうのきょう »